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96歳母が意識レベル低下で救急搬送|覚悟して病院へ

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夕方の仕事中、緊急時以外は電話をしてくることのない姉から電話が入ります。

今年の7月末から精神科専門病院に入院している母
「意識レベル低下」
「瞳孔が開いている」
「脳卒中と思われる」
と病院から連絡が入ったというのです。

瞳孔が開いてると聞いた瞬間にいよいよもう最期かと、震える手で目の前の書類を片付け慌てて救急搬送された病院へ。

ちょうど帰宅時間の混雑した時間帯、乗り慣れない電車を利用し、降りたことのない駅にやっとの思いで到着。
人も車もほとんど通らない閑散とした駅前は、タクシーが来る気配もなく刻一刻と時間が過ぎていきます。
もしかしたら母の最期に会えないかもしれないと震えながら、小雨交じりの暗闇の中でタクシーアプリのインストールを試します。パスワードを何度も間違えてようやくアプリでタクシーを呼ぶまでに至りました。

と同時に目の前にすーっとタクシーが停まりましたが、アプリでで呼んだ車ではありません。
一刻を争う事態だったのでアプリで呼んだタクシーはキャンセルして目の前の車に乗り込みます。

便利な社会になりましたが昭和30年代生まれの私には、片手に収まる機器の操作ひとつで動いていく社会の流れに食らいついていくのがやっとです。

タクシーの中で、救急搬送に付き添ってくれた母の担当医師から電話が入ります。
医師「まだ着きませんか?今どちらにいますか?」 
今タクシーで病院へ向かっていることを伝えましたが、「えっ!?そんなに緊急事態?」胸騒ぎがします。

病院に着くと先程電話してきた担当医が落ち着いた面持ちで経緯を話してくれました。

救急車の中で少し意識を取り戻し、今は脳のレントゲンの結果待ちですとのこと。
意識不明と思って駆けつけましたが意識があると聞いてひとまずは安心しました。

しばらくして診察室に呼ばれると、椅子の背もたれに大きく体をのけぞった年配の医師が

「脳に異常はありませんよ、ただ眠ってただけですよ」と、こういう救急搬送は困るみたいな言い方で

「認知症の高齢者にはよくあるんですよ、ぐっすり眠っちゃってなかなか起きないこと、今日はこのままお帰りください」

ベッドの上の母と顔を合わせることができましたが、娘である私の名前が即座に出て来ませんでした。
だいぶ意識が遠のいていることには違いないのだということは感じられました。

ほっとしたと同時に、このコロナ禍でも救急で診察してくれたことへの感謝、救急ではなかったのに時間を割いて診てもらったことへの変な申し訳なさのような複雑な心境で病院を後にしました。

付き添ってくれた若い男性の担当医にも、安堵と自分の専門外の診察に付き添ったことへの疲れの様子が見てとれました。
母がお世話になってる精神科の病院には、脳の精密なレントゲン装置がなく脳外科専門の医師がいないため、救急搬送してくれたのです。

96歳という、いつ命の終焉を迎えても不思議ではない高齢の患者をこんな風に手厚く診察・看護していただき感謝の気持ちでいっぱいでした。

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