夕方のウォーキングのついでに買い物をすることはめったにないのですが、その日はネギ1本買うために誘導されるように足がスーパーへ向かいました。
ネギをかごに入れレジに向かおうとした時に視線を感じ、そちらに目を向けるとこんなところに居るはずのない見覚えのある顔がこちらを見ていました。
6年前に私が家を出て以来一度も会ったことも話したこともなかった元夫でした。
実は退職1週間ほど前から、職場で疎遠だった人とバッタリ出会い退職のご挨拶ができたという偶然が数回ありました。
最終日にも思いがけない偶然バッタリがあったのです。(何かの予兆だったのか)
そこで留まることがなかった偶然バッタリ、今回は心臓がとまりそうなほどの衝撃でした。
レジに並んでいた元夫は列から外れて少し笑みを浮かべてこちらに近寄ってきます。
逃げも隠れもできないこの状況に、6年ぶりの会話がスタートしました。
「ここにいたんだ。貴方がどうしているか心配で何度も夢をみる。元気そうでよかった」
なぜこんなところに居るのか質問すると
「ここら辺はウォーキングコースだ」と意外な言葉が返ってきました。
定年退職して、生活が一変したとはいえ数日後に偶然会うはずのない元夫に出くわすとは。
スピリチュアル系の思考はありませんが、やはり退職前の度重なる偶然は何かの予兆だったのかと思ってしまいました。
私が生きているか死んでいるか遠方の私の実家の墓まで見に行ったという言動に、やはり私にはない思考の持ち主だと改めて思い知りました。私が自殺でもしたと思ったのでしょうか。
その墓石に刻まれた名前を見て、私の母が1年半前に亡くなったのを知ったという話もされ、墓まで行ったのは嘘ではないことはわかりました。
同時に私が7年間同居していた義父も昨年の9月に亡くなったことを聞かされました。
自分自身は病気を患い2回の手術をし、また手術をする予定があり、あれだけ飲んでいたアルコールもやめたと言います。
その割には元気そうで顔も以前よりふっくらしていて、この夏はまた遠出のドライブに行くと嬉しそうに語っていました。
病気はしても生活は充実しているのが垣間見えました。
元夫の家とは直線距離でそう遠くはないところに住んでいるので、通勤時に駅周辺でバッタリ会う可能性はあると、ある程度の覚悟はしていましたがまさかここで出くわすとは夢にも思いませんでした。
もし偶然会ったら過呼吸になるかも知れないと危惧していましたが意外と平静でいられました。
15分くらい近況報告の会話をした後、お互い「お元気で」と言葉を交わし別れましたが、その晩は忘れかけていた当時の辛い思い出が蘇ってきてモヤモヤとした複雑な心境でした。
義父が亡くなったこと、元夫はとりあえず自力で生活していることが判明し何も見えなかった状況が少し見えたことでひと息ついた感じではありました。
心拍数上昇!別れた元夫と近くのスーパーでバッタリ出くわす
50代の転落人生|1話 終わりの始まり
電車で1時間半ほどで都内に通勤可能な東京近郊のマンションに住んでいました。長男が1歳過ぎた頃、まだバブル前でしたが不動産がどんどん上がっていくのに焦りを感じ、高騰する前にと購入した3LDKのマンションです。息子2人の幼稚園・小学校・中学校...