波瀾万丈50代

50代の転落人生|10話 なくなる居場所

波瀾万丈50代

出ていった夫は、最初の頃こそ何か用事があるごとに事前に連絡がきて、私の承諾を得てから来ていました。
そして、住所変更をするとも言っていました。

義父は夫が来るたびに「何しに来たんだ!住所はまだ変えてないのか!」と怒りを表します。
しかし、2度とここの敷居はまたがせない!と言っていた割には、そんな感情は少しずつ薄れていくのです。

私の知らないところで、義父は夫に「帰ってこい」と言っていたようです。いずれは女への熱も覚めて元の鞘に戻ると考えていたのでしょう。
この家から出ていけと言ったのもその時の瞬間的な感情で、小さな駄々っ子を嗜めるような叱責でしかなかったのです。

夫は徐々に、突然やってきては義父と会話して帰っていくということが頻繁となりました。住所変更するのもやめたと言い、この家に届く郵便物を定期的にとりに来るのです。
この状況に不安を漏らすと
「息子が親に会いに来て何が悪い」「そもそもどっちも悪い!あんたにも責任がある」
と義父の怒りの矛先がこちらに向くようになります。

夫からは頻繁に携帯にメールが入ってきます。たわいもない内容の時もありましたが、私を責めるような意味深なメールの時が多く、メールを開くのが怖くなっていきました。携帯電話のバイブの振動が、腕を伝って心臓の鼓動と重なって息苦しくなります。これがもっと酷くなるとストレス障害になっていくのかと思いました。今でもバイブの振動を手に感じると、当時の感覚と感情が蘇ってきます。

こうしてどんどん心がすさんでいく毎日でしたが、息子の就活中ということもあり、先のことをあれこれ悩むことはやめて、日々の生活をこなしていくことだけを考えていました。

義父と同居後の初めてのお正月のことです。
義父への新年の挨拶にと、お酒やおつまみを持って義理の妹家族が夕方突然やってきました。知らないうちにキッチンで支度が始まり、私の食器棚から、私の食器を使って宴会が始まっていました。

自分は他人の家に身を寄せてる居候でしかないことを思い知らされ、思わず人通りも少ない新年の夕暮れどきを、1人でふらふらと出ていきました。

少し離れた神社でお参りをした後は時間をつぶす場所もなく、遠回りをしながら帰宅したのですが、まだ宴会は続いていました。夜遅くまで続き、階下から聞こえる上機嫌な会話が騒音となって私の頭に突き刺さってきました。

宴会が終わり、静かになったキッチンに残された空き缶やゴミの山を目にしたときは、惨めで屈辱的な感情に襲われますが、こんな状況のまま何もできない自分に嫌気がさしました。

ふと横に目をやると、大きな鏡の中に、自分も含めいろいろな人に対するゆがんだ感情のせいで、今までに見たこともない醜い自分の顔が写っていました。

その後は家族として接することも、必要なこと以外、会話をすることもやめました。休日はなるべく外に出かけ、部屋数はありましたが、私の居場所がどんどんなくなっていく気がして、不安が増していきました。

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