2世帯住宅の話はなくなりましたが、義父は頻繁にこの家に出入りするようになってきました。義母の体調が芳しくないことが不安だったせいかも知れません。その不安は夫も同じで、今離婚するタイミングではないと感じていたのか離婚はしないと言い出しました。
結局私は夫の行動を見て見ぬ振りをしながら、怒りと悲しみの気持ちを押さえ、平静を装って夫にも義父母にも接するようになっていました。
そんな時、義母の体調が急変し、ある晩ひっそりと息をひきとってしまったのです。
悲しむ間もなく葬儀屋との打合せ、通夜、告別式と嫁として忙しなく働きます。これを期に、家族の大切さを今一度思い直してくれたらという期待も込めていました。
ところが通夜の晩、義母の祭壇の真横でアルコールが入った義父と夫はまたも終わりのない言い争いを始めたのです。この2人と今後向き合っていける自信がさすがに失われた瞬間でした。
通夜、葬儀も無事終わり、せっかく移り住んだ駅チカのマンションには義父がたった1人残されてしまいました。それでも義父は私達に頼ることなく気丈に振る舞っていました。
しかしその3週間後、あの東日本大震災が起こるのです。この地域も停電・断水が続き、液状化により道路が寸断され被災地となりました。計画停電も続きます。義母が愛したこの土地、この地域が悲惨な状況になってしまった光景を目にしなくて済んだのは、ある意味義母にとっては幸せだったかも知れません。
災害に見舞われたときこそ家族の絆で乗り切れると思った私は、先日の葬儀のときのように、夫がまた家族として向き合ってくれるのではないかと期待してしまいました。しばらく、傍目には雨降って地が固まったように見えていたかもしれません。
ここで、一般的には長男家族が年老いた親と同居という流れになりますが、義父と夫は同じ屋根の下で暮らすことはトラブルになる恐れがあるということから義妹家族が義父と同居することになりました。
先日の2世帯住宅の計画に代わって、義父と同居する義妹家族の住居を購入という計画になったわけです。正直ほっとしました。こうして義父は義妹家族と新しい家での生活が始まります。
義父は、実の娘家族との同居のほうが、穏やかに暮らせるに違いないと思っていたようです。
しかし平穏な日々は長くは続きませんでした。